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壺屋の歴史

17世紀後半、首里王府により行なわれた窯場の統合により、散在していた窯場が現在の那覇市にある壺屋に統合された。これが壺屋焼の始まりです。時は下り太平洋戦争により壊滅的な被害を受けた沖縄において、奇跡的に大きな被害を免れた壺屋は、戦後復興に伴い、生活必需品を作り出す大きな役割を果たします。

1972年、沖縄が本土に復帰すると、沖縄の温かみのある陶器として評価されることとなりました。しかし、那覇市の人口増加に伴い登り窯の煙などによる公害問題が発生し、壺屋焼は規制を受けることとなります。伝統的な登り窯に変わりガス窯の導入などに迫られて、壺屋焼の歴史は大きな転換期を迎えることとなりました。

伝統的な登り窯にこだわる職人の一部が、壺屋から読谷に窯を移すこととなり、現在では壺屋と読谷がやちむん(焼物)の里となりつつあります。

現在壺屋焼とは、壺屋と読谷で焼かれるやちむんのことを指し、その作品は、南蛮焼の系統を持つ荒焼(アラヤチ)と、朝鮮焼の系統を持つ上焼(ジョウヤチ)に大別されます。荒焼は、釉薬(うわぐすり)を使用せず、高温で焼締めたもので、水がめや酒がめなどの大きなものが作られています。上焼は、釉薬が塗られ、線彫りや赤絵付けなどの技法が用いられることにより、たいへん美しいやちむんが作られることとなりました。現在、工芸品として見られる壺屋焼は、そのほとんどが上焼です。

白い化粧土と赤絵の織り成す雰囲気と、日常使いとして愛されてきた美しい造形が、現在も多くの人々を魅了してやみません。

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